砂利採取の歴史

砂利採取法 ― 治水上の河道計画に添うべく 河道確保を目的として堆積土砂を取り除き河川敷外へ持ち出す事に係る法律 持出し土砂は有料

昭和30年代 東京オリンピックに向けて 新幹線 首都高 等の建設が実施され大量の骨材需要が都内に起こり 各地方河川の採掘が許可され(砂利採取法による)多数の民間業者による採掘が行われた。需要は大きくそれに対応して3交代24時間の操業が続いたと聞いている。
当時の河川敷は堆積土砂が多く 河道は蛇行を繰り返して治水堤防近くの護岸を崩し河床が上昇する傾向にあったと観られ治水上からも大量に採取する必要があった為か現在とは違い砂利採掘船や移動式採掘機等が河川敷内で稼働していた。

昭和40年代に入り各河川は少しずつ計画に沿った河道確保が維持できるようになったことから河川敷内の砂利採取は規制され、採取量を減少させるまたは採取を禁止する時代となった。しかし高度経済成長の時代、骨材の需要は全国的には増加していった、砂利採取業者は規制された河川(河川砂利)から民間の土地(主に農地)の採掘(丘砂利)へと業態を変化させていくが、原石の品質と供給の不安定に悩まされることになった。

昭和30年代後半から“砂利”に代わって“砕石”が骨材の主役になるべく登場する、河(河川砂利)から山(山砕石)へ骨材の供給者が代わっていく時代に入る。さらに昭和60年代(平成)に入って国として公共工事に建設廃材(コンクリートガラ)をリサイクルしたリサイクル砕石(RC40-0等)を使用していく方針が打ち出される年を追うごとにリサイクル砕石の使用率は上昇し、平成22年辺りから公共工事において使用する砕石はすべてリサイクル砕石を使用するというような工事仕様をしている県や市町村も出てきている。